法務コラム
コロナ禍と専門知識
新型コロナウイルス肺炎が拡大していますが、「どこそこの研究所の教授が、27度か28度の水を飲めばウイルスが殺せると言っている」「ウイルスは咽頭に20分くらい留まっているので、その間に水分をとれば肺に行かずに胃に行って胃酸で死ぬと、どこそこの有名病院の医師が言っている」という類いの話を、LINEなどで見た方が少なからずいらっしゃると思います。これらの話が流れてまもなく、これらがデマだという話も流れてはきましたが。
医学の専門知識がないほとんどの人にとって、こういう情報の真偽は判断できません。素人に専門領域の情報自体の真偽はほとんど判別できないのだから、信じうるか否かはまず、元々の発信者がだれか、に依るべきであるはずです。ところが、元々の発信者が不明で、昔なら井戸端会議程度の話でとどまっていたデタラメが広く拡散していく。これらの媒体を生み出した科学技術の高度さと、そこに流れる情報の正確さが混同されているようです。偽名、架空の人物からの情報などは、街中の落書きと違いがないのに、ソーシャルメディアに流れると信じようとする。
最近の朝日新聞に、精神科医でもある作家の帚木蓬生が、ネガティブケイパビリティという概念について書いています。生半可な知識や意味づけを用いて未解決な問題に拙速に帳尻を合わせない、中ぶらりんの状態をもちこたえる力のことだそうです。そもそも脳は分かりたいという欲求をもっており、しかしこれの言いなりにならないのが知性であるのに、ソーシャルメディアはこれに逆行する傾向を人に植え付けるものだと。帚木蓬生自身は、できる限りスマホを手にしないようにしているそうです。
専門知識への尊重を知らず、インターネットに流通する出所不明のデマを信じ込みたがるのは、分からないことの不安に耐えられず、安手の答えで知った気になり、その情報を自分も拡散して、ネット社会の主役の一員になれたような錯覚に陥り安堵できるからでしょう。この傾向の極北にあるのが、差別や排外主義を叫ぶ愚かしい人々で、不安と劣等感から専門家と知識人を敵視し、手近なデマを答えにして、拙劣なナショナリズムを看板にしているのです。
ここまで極端に浅慮ではなくとも、法律知識についての同様な傾向がインターネット上にはあり、法律的な問題についても相当にいい加減な話が出回っています。中には専門家の書いた確かな情報もありますが、それらの情報も、実際に弁護士の話を聞いた上でないと自分のケースに当てはまる判例や所見なのかは、なかなか判別がつきません。いくら医学知識についてネット情報を見ても、医者の診断を受けなかったら、自分に当てはまるものか否かは分からないのと同様のことです。
予めインターネットでご自身がかかえる問題ついてよく調べ、その後に弁護士のところに相談にいらっしゃるのも、それ自体は当然のことですが、その情報を基に弁護士と「論争」を始められると、弁護士はやりづらいことこの上ないのです。弁護士側の勝手な言い分ではありますが。
とはいえ、類としての人間には自ら生んだ科学技術の発達を止められない、という意見に従えば、インターネットもさらに漸進していくしかないのだから、その中に流れる専門知識が質を高めていけるような試行が必要でしょう。